心和むやさしい器を。
陶芸家 岡崎 裕子さん

Profile
- 岡崎裕子 陶芸家
- おかざきゆうこ
-
陶芸家。1976年 東京都生まれ。株式会社イッセイミヤケに入社。広報部に3年在籍した後、
茨城県笠間市の陶芸家・森田榮一氏に弟子入り。5年の修業後、2007年神奈川県横須賀市にて独立。
2009年、初個展。以来、全国でも個展を開催し、人気を博す。
現在、白、淡いブルー、ピンクの作品を展開。根強いファンが多い。
おしゃれで使いやすい器を生み出す。
弾ける笑顔に、これまで何の苦労もない人生を歩んできたかと思いきや、人がうらやむ華やかな仕事を捨て、あえて経験ゼロの陶芸へと舵を切り、数多の苦労を苦労と感じず、自らの道を切り拓いてきた岡崎裕子さん。唯一無二のクリエイションで、器の世界に新風を吹き込んでいます。
因みに岡崎さんが修行した「笠間焼」の特徴は、自由な作風であることと、様々な釉薬と技法が用いられること。
江戸時代から続く伝統を受け継ぎながら、現代的な表現も取り入れ、個性が光る多様な作品が生まれています。
岡崎さんの作品にも、まさに笠間焼の伝統を現代に、そして未来に紡ぐものとして、みずみずしい感性と創造性が息づいています。

はじめは白のシリーズから、トンボのモチーフがシグネチャーに。
陶芸家として最初に発表したのは白のシリーズでした。モチーフはトンボ。鉄分の多い赤土だと、白の釉薬でもモチーフの縁に茶色いラインが現れる。それがいい味になってくれます。
トンボは陶芸の修業中、先生のお庭でよく見かけたハグロトンボからのイメージ。人間は自然界の生み出すデザインにとてもかなわないと思ったものです。そんな弟子時代の心象や、大好きなアールヌーヴォーへのオマージュ。また、ひと目で私の作品だとわかるデザインにしたいという思いなどが合わさって誕生しました。

頭を丸めて弟子入り。陶芸家への途を自らの手でこじあける。
陶芸家になる前は、ファッション業界の最先端でプレス(広報)の仕事をしていました。クリエイティブな現場でとても充実した日々でしたが、一生続ける仕事ではないと感じていました。ファッションの世界は分業制。大勢の力で成り立つ世界。3年働くうちに、自分の手で何かを生み出したい、もっと生活に関わる仕事をしたい。そう思うようになり、周囲の困惑をよそに、ずっと興味があった陶芸の道に進むことに決めたんです。
こうと決めたら猪突猛進。経験はゼロでしたが、茨城県笠間市の陶芸家、森田榮一先生のもとへ。このとき、決意表明のつもりで、頭を丸めて弟子入りしました。

笠間での5年の修行を経て独立、自分の作品づくりへ。
修業が進んだ段階で先生は「小出しに自分の作りたい欲求を満たすな。独立するまでは自分の作品は作らせない」と。ひたすら技術を磨くことに徹しました。
4年経ったとき、「うちの工房では存分に釉薬の研究ができないだろうから」と、先生の推薦で茨城県窯業指導所(現・茨城県立笠間陶芸大学校)に入所。釉薬の勉強に邁進しました。このとき実験を重ねた調合率のデータが、のちのちどれだけ役に立ったか。計5年の修業を経て、先生のもとを卒業できました。
白のシリーズに続いて、淡いブルーやピンクの作品にも取り組んでいますが、それらの色出しも修業時代に釉薬の勉強をしっかりさせてもらったおかげといっても過言ではありません。

40歳にして乳がん発症。3年間の空白期間を経て再び作陶。
独立準備を始めた頃にちょうど結婚することになり、両親の勧めで祖父母の家の敷地に工房兼自宅を構えました。
以来、仕事は順調。子どもも2人授かりました。ところが、40歳のとき、左胸に乳がんが見つかったのです。
子どもは2歳と6歳。自分の体の心配よりも、子育てどうしよう、仕事どうしようと頭がいっぱいに。初期治療はうまくいったのですが、その後、遺伝性のがんとわかったので、両卵巣と右胸の予防的切除をし、同時に両胸の再建も終えました。
術後3年間は仕事ができなかったこともあって、43歳から47歳にかけては、その空白を埋めるかのようにたくさんお話をいただき、個展が増えました。夢中で仕事をしていたら、ものすごく重い四十肩になって。もしや、骨に転移しているんじゃないかと検査をしたりするうち治療が遅れ、治るのに時間がかかりました。今は、すっかり筋力が戻って、サーフィンも再開しています。

50代は自分のペースで花開きたい。まだまだこれからです。
話が前後しますが、上の子の小学校入学を機に、自宅を学校の近くに移し、車で1時間ぐらいの工房まで通うという2拠点生活を続けています。この1年は、下の子が競技チアリーディングで世界大会に行くため、送り迎えや応援で、仕事はかなりゆったりペースでした。今、48歳。50代はもう少し力が抜けてもいいかな、自分のペースでできたらいいな、と思うようになりました。

まだまだこれからです。器を作る仕事は私のウェルビーイング。
子どもの頃から、いろんなタイプの器に囲まれて育ちました。母はロイヤルコペンハーゲンやスティグ・リンドベリなど北欧の器が好きですし、祖父は日本や中国、韓国の骨董、また濱田庄司や河井寛次郎など民藝の作品を蒐集していました。これまで何げなく触れてきたものが、実は陶芸家の自分にとっての大切な素地になっていると思います。
祖父母の家の庭の大きな樹木や足元の草花、高原に遊びに行ったときの空の色や風、感じるものすべてが作陶のヒントになっています。
器を作る仕事は、私のウェルビーイング(心身ともに健康・社会的にも満たされた状態)に欠かせないもの。自分の思いを込めた作品が、誰かの暮らしを彩ることができたら、こんな嬉しいことはありません。

岡崎裕子さん、スキンケアどうしてます?
サーフィンが趣味という岡崎さん。驚くほどお肌がきれいですが、早朝、日が昇る前に海に入るのがポイントとか。
これからは「サクラエ」でシミのもとを食い止め、美白※にも精を出したいとのことでした。
※メラニンの「生成」と「 蓄積」をダブルでおさえ、しみ・そばかすを防ぐ
取材日:2025年3月10日
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