花のように開け、和傘。

岐阜和傘職人 田中 美紀さん

美を紡ぐ人Vol 12

Profile

田中美紀 岐阜和傘職人
たなかみき
1979年岐阜県生まれ。髙橋和傘店店主。実用品でありながら、美しさを兼ね備えた岐阜和傘の魅力に惹かれ、老舗和傘卸し店に飛び込み、13年の修業を経て独立。岐阜和傘の伝統技術を伝え守るために、後進の育成や原材料の確保に奮闘中。一般社団法人岐阜和傘協会代表理事。

開けば花、閉じれば竹。岐阜和傘

城下町として栄えた岐阜・加納地区。江戸時代初期に職人を招き入れ、武士の内職として和傘作りが広まりました。
長良川の水運を通じ、近隣から和紙や竹など、良質な素材が豊富に流通したことが助けとなり、岐阜は和傘の一大産地に。
洋傘の普及とともに途絶えかかった伝統を、守り残そうとする和傘職人・田中美紀さんを訪ね、お話しを伺いました。
開けば花、閉じれば竹。細身の岐阜和傘の魅力も、たっぷりお届けします。

[写真:手漉き和紙の美しさが映える岐阜和傘。“日本三大和紙”の一つ「美濃和紙」が岐阜に存在していたのも、和傘が岐阜の名産品となった要因の一つ。大正から昭和初期には、月産数百万本を誇る日本一の産地として隆盛を極める。]

ふわっと開く和傘、一本持つと豊かな時間が訪れる。

和傘って馴染みがない? ですよね。でも、ぜひ一度さしてみてください。持った感じ、日傘のほうは思ったより軽いし、細身でしょ。これが岐阜和傘の特徴でもあるんです。柄を持って少し回すとふわっと開くので、手を差し込んでゆっくりと開きます。ワンタッチでパッと開くわけではないけれど、この時間が今の人たちに必要な時間ではないかと思っています。和傘を一本持つことで、きっと豊かな時間が訪れるはず。

[写真:(左から)日傘を差して通称「川原町」と呼ばれる古い街並みに立つ田中さん。自然光に透けて和紙の柄が柔らかく浮かび上がる。/閉じれば「竹」。持ち運びやすいように柄がはずれる実用的な細工も。/開けば「花」のように美しい岐阜和傘。」

和傘を開いたときの驚き、素晴らしい景色。

私は岐阜生まれの岐阜育ち。大学でスペイン語を学んで、海外にばかり目が向いていました。ところが海外に出てみると、日本のことを知らなさすぎる自分に愕然として、勉強しなくてはとたまたま最初に訪れたのが地元にあった和傘店でした。
傘を開いて驚きました。目に飛び込んできた景色がほんとうに素晴らしかったんです。また、作業をする職人さんたちのリズミカルな動きを見て、私も何らかの形で携われたらと、その場で社長さんに「ここで働かせてもらえませんか」と尋ねていました。

[写真:(左から)「蛇の目傘」(じゃのめがさ)のパーツ図。日本伝統の蛇の目傘は、傘を開いたときの模様が空から見たらヘビの目に似ていることから命名。厄除けの願いも込められていたのだとか。/木、竹、和紙、糸など、部品のほとんどが、今も自然由来の素材で構成される和傘。手に触れる感触もやさしい。]

恐いもの知らずで飛び込んだ、和傘職人の世界。

この時季、和傘産業は一番疲弊していたと思うんです。社長さんは、「どれだけ続けられるかわからない。和傘自体に未来がないから、親御さんにも申し訳ないし、雇えない」と断られたんです。
それでも何度か押しかけて、根負けされたんだと思います。弟子入りというよりアルバイトで入れていただきました。
そのうち私があきらめるだろうと思っていた社長も、あまりにもしつこく来るもんだから、「一度働いてみるか」と。怖いもの知らずだったんでしょうね、感覚だけで生きていたので(笑)。

[写真:(左から)竹の節を活用した「親骨」に、先を二股にした「小骨」を挟んでいく。/4本ずつ親骨と小骨を「糸」で繋ぐ。/軒(周囲)に少しずつ「軒紙」を張っていく。/親骨と小骨を接いだところに「中置き紙」を張っていく。中央の突起部が「ろくろ」。ろくろは、傘骨を支え、和傘が開閉するための“要”ともいえる重要な部品。]

職人さんの作業を見て、必死で覚えて、ひたすら反復練習。

店は卸し問屋だったので、仕事は検品や出荷作業といった軽作業でした。当時、和傘製作は完全分業制。職人さんたちはほぼ自宅で作業をしていました。それぞれの家を回って、材料を届けて、できあがったものを次の職人さんに持っていくというのが、最初の頃の私の主な仕事。2年ぐらいやったでしょうか。
その間にも職人の数は減る一方。穴埋めが必要になったため、社長から「仕事を覚えてみるか」と。方法としては、職人さんの作業を何回か見せてもらって、必死で覚えて、ひたすら反復練習するというもの。そうやって、少しずつ仕事を覚えていきました。

[写真:(左から)丁寧に「中置き紙」を張っていく田中さん。指先に繊細な感覚が求められる。/和紙を張る作業。形を起こし、扇型に裁断し、4枚を繋ぎ合わせていく。一本完成させるのに2ヶ月近くかかるものもあるという。]

岐阜和傘の美しさを未来へ届けたい。

13年経って、一通りの作業ができるようになった35歳のとき、独立。職人さんたちに独立を伝えたら、ありがたいことに、廃業される方から、エールを込めて道具をいただきました。和傘に使うのは特殊な道具で、手に入らないものも多いのですが、おかげさまでスムーズに店(髙橋和傘店:髙橋は旧姓)を開くことができました。
独立したのと同じ頃、岐阜に岐阜和傘のセレクトショップができました。それまで、京都や東京で販売はできていたのですが、岐阜にはショップがなかったんです。この店、NPO法人が運営するもので、発信力が違いました。私は和傘の美しさを未来に届けたいという思いでいっぱいだったので、本当に心強かったですね。

[写真:(上段)田中さんが復刻した、和傘の伝統技法“網代(あじろ)”を用いた「網代日傘」。軒がフリルのようになっているのが特徴。和紙は柿渋で染めたもの。/(下段左)「網代日傘」4本。左から2番目と4番目は薄い和紙を二枚重ねた「二重張り」。これも伝統技法。/(下段右)小ぶりなサイズの「まめ和傘」。桜や藤、千鳥や鮎など、日本の伝統的な意匠が目を引く。岐阜和傘は、歌舞伎や日本舞踊などの伝統芸能にも欠かせない小道具として、現在も全国シェアの約7割を占めている。]

岐阜和傘協会を立ち上げ、国の伝統的工芸品にも指定。

かつては、竹を割って傘骨を作る骨屋、ろくろ屋、張り屋、仕上げ屋など、細かい分業制でしたが、私は骨とろくろ作り以外は、ひとりで取り組んでいます。
和傘作りは、戦後、洋傘に押されて一気に生産が減少。さらに職人の高齢化やバブル崩壊なども重なって、衰退の一途をたどっています。大切な地場産業であるはずなのに、このままではいけない。この現状を何とかしなければ岐阜和傘の未来はないと、問屋と職人が一丸となって、2020年、岐阜和傘協会を立ち上げました。そして翌2021年、国の伝統的工芸品にも指定されました。

[写真:(左から)和傘の骨組み。この精密な構造をすべて手作りで。/美濃手漉き和紙。田中さん自身で染めた和紙を使用することもあるという。]

色とりどりの和傘の花を日本中に咲かせたい。

ろくろの材料となるエゴノキの種を取って苗を作り、子どもたちに育ててもらい、山へ帰す「エゴノキプロジェクト」や、職人を育てるための「和傘塾」、美濃和紙の職人さんにいろいろな色の和紙作りに取り組んでもらったりと、和傘一つにたくさんの人の手が関わっています。いろいろな方の支えで成り立っていることに感謝し、これからも大切にしていきたいと思っています。
特に和日傘は実用のみならず、和紙の風合いや和紙を通した柔らかな光を楽しむことができます。傘を開く瞬間だったり、傘を眺める時間だったり、日常に愛おしい時間が生まれるのも楽しみの一つ。猛暑の紫外線対策に日傘を持つ人が増えているといいます。色とりどりの和傘の花を、日本中に咲かせたいものですね。

[写真:(左から)和傘作りの道具いろいろ。廃業する職人から譲り受けたものも。/和傘の内側を彩る色とりどりのかがり糸。化繊糸、木綿糸、絹糸など、摩擦に強い糸を使用。/竹一本を割って、これだけの傘骨をとる。/エゴノキの苗。「エゴノキプロジェクト」として、地域の子どもたちと木を育てる活動も展開。職人だけでなく、原材料を確保することにも困難な現状がある。]

田中さんの和傘は、〈髙橋和傘店〉のECサイトや〈和傘CASA〉でも購入できます。

□髙橋和傘店 → https://terifuri.base.shop

□和傘CASA → https://wagasa.shop

田中美紀さん、スキンケアどうしてます?

自然光が入る部屋で仕事をすることが多い田中さん、朝晩、『サクラエ』でケアしているとか。
「洗顔後、日々のお手入れの一番最初にプラス、という使い方は取り入れやすく、私にとっては毎日のご褒美のようで、とても気に入っています。」

取材日:2026年3月13日

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