美しい花の絵で人に寄り添う。

日本画家 定家 亜由子さん

美を紡ぐ人Vol 11

Profile

定家亜由子 日本画家
さだいえあゆこ
1982年滋賀県生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。自然をこよなく愛し、草花や虫といったモチーフを伝統技法で描く。
高野山開創1200年となる2015年に高野山真言宗準別格本山惠光院に襖絵七面を奉納。
2018年高野山大本山寶壽院に襖絵八面奉納。
著書に、画文集『美しいものを、美しく 定家亜由子が描く日本画の世界』(淡交社刊)。

母が最初に気づいてくれた、「この子は絵が好きなんだ」。

絵を描き始めたのは1歳頃。ひとり遊びができない、母の姿が見えないと泣いちゃう、そんな子だったみたいです。
ところがある日、母が離れているのに泣いていない。どうしたのかと思って母が見に来たら、赤と青の鉛筆ってありましたよね。あれで襖いっぱいに何か描いていたというんです。
当時、借家だったんですけど、そんなのわからないですものね。母はそのとき、「この子は絵が好きなんだ」って気づいてくれた。以来、画材を与えてくれて、お出かけしたり、家族旅行したりするときも常に絵を描く子になりました。
うちはごく普通の家でしたけど、父も母も美術が好きで、西洋絵画全集とかあって、私は絵本がわりによく見ていました。
小学校3年生のとき、「一日一絵」と名付けて、日記のように絵を描き続けたことがありました。ついには千日千絵に。それで教室で展覧会したんです。

[写真:(左から)小学校3年生のときから「一日一絵」と名付けて描き続け、ついに千日千絵に。絵の裏には、感じた文章も書かれていて、微笑ましい。/定家さんの現在の作品。花や小さな昆虫など、自然のモチーフが多いのは、昔も今も変わらない。]

唯一勉強したいと思うもの、それが絵でした。

大学に行く頃になって、親からは国公立、しかも関西でと言われていていたので、自分なりに考えてみると、行きたい学部、ときめく学部がない。もし唯一勉強したいものがあるとすると、絵だなと。でも、日本画が学べる美術学部だと就職が難しいと思い込み、デザイン学部なら就職しやすいかと受験。ただ、その年は落ちちゃって。
その後、日本画専攻でも就職先がいろいろあることを知って、翌年、美術学部を受験して合格。日本画の勉強を始めたら、楽しくて。ところが、大学を卒業する頃がドンピシャ就職氷河期。それで考えて大学院まで行きました。

[写真:自然光がたっぷり入る定家さんのアトリエ。岩絵具(いわえのぐ)の原料となる孔雀石(マラカイト)などと一緒に「あゆこ」にちなんだ鮎の文鎮も。]

自分には絵しかない、そして絵の道へ。

その頃、お声がけいただいて、個展をすることに。今ならよくあることかもしれませんが、学生が個展するなんて、当時はごく稀なことでした。でも、チャレンジしてみたくて。それを通して、就職するのではなく、苦労してでも作家として立っていこうと思うようになりました。
ただ、その頃、私を取り巻く状況は厳しかった。父が難病を患い、介護が必要。妹は受験生、母は専業主婦。頼れる人がいない。困難だらけ。そんな中、自分の道を進めるのか。もう潰れそうな気がしていたんです。就職すれば安泰かもしれない。でも直感というのか、自分には絵しかない気がして、あえて逆に行った感じです。もうちょっと踏ん張ろう、踏ん張ってみようって。

[写真:アトリエに飾られていた四季折々の花や植物の作品。花は定家さんを象徴するモチーフのひとつ。(上段左から)「葉牡丹(はぼたん)」/「連綿(さくら)」/「蒼天(いちはつ)」/「金鈴(いちょう)」(下段左から)「梅苑(うめ)」/「変幻(あじさい)」/「淡光(すいせん)」/「花冠(はす)」]

日本画が生活の中にある京都で。

個展では大きな気付きがありました。絵を通して人と出会えたり、人の生活に寄り添えたり、大好きな画集の中にしかない世界が自分の身近になった気がしたんです。生活と仕事が実感として結びついた。そこがすごく嬉しかった。
西洋画って物理的な距離感もあるけれど、絵と鑑賞者がパキッと分かれている気がするんです。京都ということもあるんだけれど、日本画と生活ってまったく切り離されていない。街の何でもない和菓子屋さんに竹内栖鳳(たけうちせいほう)の短冊がひょろっとぶら下がっていたり。お祭りを見ても、あの絵描きさんのあの絵はきっとこの風景を見て描いたんだろうなと思ったり。

[写真:京都らしい扇面に描かれた桜。風にのってほのかに香り立つような春の風情が感じられる。]

大きな転機となったのは、高野山準別格本山惠光院の襖絵。

最初は全然食べられなかったですよ。菓子パン1個で過ごすことも。かといって作戦を立てたりもせず、そのときそのときに繋がったご縁で今があります。
大きな転機となったのは、2015年、高野山開山1200年の折、準別格本山惠光院の襖絵を描かせていただいたことかもしれません。ご住職が絵をお好きで、何と個展も見に来てくださっていたんです。襖絵となると、そこが生活の場であったり、観光地になったり、信者さんが集ったり。絵だけが独立しているのではなく、そこに様々な人たちが様々な感情をもって存在することで、瞬間瞬間に大きく変わる風景画のようだと思えたんです。絵描き冥利に尽きますよね。

[写真:同系色ごとにきれいに並べられた岩絵具。日本画に使われる岩絵具はその多くが自然を原料とする。たとえば白の胡粉(ごふん)は貝殻を、鮮やかな緑は孔雀石を砕いてつくられる。「胡粉からは海の景色が、孔雀石からは山の景色が見えてくる。大きな風景の記憶を宿す日本画材で花を描くことに深みを感じています」と微笑む定家さん。]

千年以上の歴史を持つ岩絵具で「今」という大輪の花を描く。

「定家さんといえば花」とよく言われますが、京都画壇や京文化の先達の美意識を通して描かれる花に魅了されて、日本画にのめり込んでいったいきさつがあります。花を通して、光だったり、穏やかさや温かさだったり、心の深いところに繋がる、言葉にならないやさしい感覚を描きたいと思っています。
花でなくてもいいのかもしれませんが、私にとっては花が一番しっくりきたんですね。花を描くうち、自分と花の境界線がなくなって融け合っていくような気持ちになる。自分の中に花があるような、また、花の中に自分を見るような、そんなふうに自分と花が重なり合ったときに、救われるというか希望を感じます。

[写真:「美しいものを美しく」が定家さんのテーマ。大きなスケッチブックに、今日も花の写生に出かける。右の写真は写生棚。春夏秋冬の花や昆虫など、引き出しにきちんと分類。花は種類別に整理されている。]

花を通して光や風を感じるような…軽やかに描きたい。

花を描く上で、特に大切にしているのが写生です。大好きな花を描きながら、花にふりそそぐ光や、花をそよがせる風まで感じられるような、そんな絵を描いていきたい。
生きていると日常の中には重いことも多いじゃないですか、だから絵は軽やかに、透明感のあるものを描きたい。
絵描きとしても、人間としても、もっともっと成長したい。絵を通して、また絵に留まらず、学び続けたいと思ってます。

[写真:今回サクラエのために、春らしい桜の絵を描いてくださいました。(左から)胡粉を乳鉢で丁寧に細かくする/胡粉を水で溶く/美しいピンク色は、先に朱の絵具を塗ってから白い胡粉を少しずつ繊細に差していく。まるで平安貴族の装束の色合わせ、赤い絹の上に白い薄絹を重ねて桜を表現した『桜の重(かさね)』のよう。「絵具が乾く前のみずみずしさが好き」と定家さん。ありがとうございました。]

写真では表現しきれない定家さんの繊細なタッチや色彩、その作品に直に接するチャンスです。
新緑も美しい初夏の京都にぜひ足を運んでみてください。

白沙村荘造営110年 特別企画 
定家亜由子の花まんだら
京都と手しごと展」

5月2日(土)〜24日(日)
白沙村荘 橋本関雪記念館 
http://www.hakusasonso.jp/

定家亜由子さん、スキンケアどうしてます?

定家さんにとって、重要な写生。花々の一瞬の輝きを求めて公園に行ったり、お寺に出かけたり。これまでは大きな帽子をかぶり、日焼け止めを塗る程度だったそう。そんな定家さんですが、お肌はぴかぴかつるつるです。今回、初めてサクラエの存在を知り、「これからはお手入れに精進します(笑)」とのこと。

取材日:2025年11月21日

※製品を提供し、いただいたコメントを編集しています。